準備のころ


著者
キャンプで

 仕事はスポーツ用品会社で、スポーツウェアーを企画するというものだが、給料は安く、食べるのがやっと。ただ時間は、わりと自由になったので、冬をのぞいて琵琶湖でモーターボートに引いてもらってのトレーニング。冬はスキー場でスキーをつけてのトレーニング。

 その頃は、なんせ日本で初めての事であり、教えてくれる人もなく悪戦苦闘。空飛ぶものすべて(UFOはどうか知らないが)、向い風に向かって離着陸するのは常識だが、はずかしい話、それすら知らずただひたすら、凧上げの要領で引っぱってもらったら飛ぶと、思い込んだ。おかげで生キズはたえず、1度などはかなり足を切り、片足だけで、車を運転して帰宅。これを見たヨメさん、すこしもうろたえず、冷めたいタオルをキズ口ヘばさり。出血は冷やしたらとまるとのこと。そのうちハンググライダーも、斜面を走って飛べるようになると、仲間もどんどん増え、事故もどんどん増えた。多くの友人もこの時期に失った。そんな時、ヒマラヤ山脈の空を飛んでいるタンチョウヅルの写真を新聞で見た。1970年5月のエベレストは、日本と同じ様な五月晴れが続いた。酸欠で息が苦しくなかったら、極地にいるとは思えないくらいだ。

 空気はあくまでピュアーだ。たぶん、こんな時期をねらってツル達は、ヒマラヤ越えをするのだろう。ツルとハンググライダーを頭の中でスイッチして、イメージ(想像)してみる。なんとなく飛べそうな気がしてくる。うれしい予感だ。

 それから、会う人、会う人に、俺はヒマラヤを飛ぶぞ、と言いふらすようになる。自分にも、言いきかせてたのかもしれない。



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