2003年夏物語り (03/09/26)


 2002年夏物語をアップして以来、思いつきページはすっかりご無沙汰してしまった。 何も思いつかない訳ではないが日々のレッスンと自分のフライトで、思いつきページの 事はつい上の空。

 この夏一番大きな出来事は阪神タイガーズの優勝!私にとってこの夏の大きな出来事は 師匠、三浦雄一郎さん☆エベレスト世界最高齢登頂祝賀会☆にユカといっしょに出席した 事であった。今年の春4月〜5月、ネパールはヒマラヤ山脈世界最高峰エベレストから インマルサットで現地のレポートと写真がリアルタイムで送られて来た。

 ベースキャンプの長男雄太さんはコンピューターのプログラマーとしてアメリカで活躍 しているので得意な分野。インマルサットで東京事務所へ、そこからメーリングリスト で届く仕組み。1970年大阪万博の年、三浦先生のサポート役としてエベレストへ 行ったが当時は現地のニュース原稿と写真を持ったメールボーイが電話連絡が出来る麓 の村や飛行場まで走ったのだから日本にニュースが届くまで一週間ぐらいかかった。

 それから14年後、1984年のカンチェンジュンガからのハング飛行の際でも同じ 様なものだった。しかし今はIT時代となり人工衛星を使いデジタル通信、極地でも電話 が出来る時代になった。それだけに今までにない現場の息使いが伝わるような臨場感が ありました。今回の冒険で一番のクライマックスは8400m地点デスゾーンに4日 間閉じ込められ悪天候で食料と酸素ボンベの補給が途絶えた時だった。現地から新しい メールが届いていないか夜中に起きて見る事もありました。

 三浦先生、豪太さん、それに カメラマンの村口さんが一つテントの中でがんばっていた。村口さんはヒマラヤハング 飛行の際、日本テレビカメラクルーでフライトの様子を撮影してくれた方だった。 それからエベレストは2度登頂して今回登れば日本では初めての三度登頂記録となる。 その村口さんが『我々のスタイルは絶対に崩さない』とメールで見たときこれはきっと 成功すると感じた。

 エベレスト登頂してマスコミには毎日登場の三浦先生から7月18日祝賀会の招待状 が届いた。三浦敬三先生99歳と会うのも久々なので楽しみだった。敬三先生はカメラ マンとしても一流で若い頃はスキー滑降をかっこう良く?撮影して頂いた。一度は 撮影中に雪崩に遭遇、命がけの撮影も経験したので二人の心の絆はばっちりです。 村口カメラマンと会うのはカンチェンジュンガ以来の19年ぶりとなる。

 私の奥さんユカと結婚11周年となるがその間、旅行らしい旅行にも二人で行ってない し三浦敬三さんにも紹介しておきたかったので翔大と隆大をおばあさんに預けて東京へ 行く事にした。 新幹線で東京駅に着いたら、パラワールド編集部小貝さんが出迎えてくれた。小貝さんは 東京育ちなので自分ちの庭のように詳しく麻布のアメリカンクラブへ車で送ってくれた。 麻布のロシア大使館が隣接していて機動隊が警備している独特の雰囲気は田舎暮らしが 長い二人には異様な感じだった。

三浦先生おめでとう

 会場は我々二人が結婚式をした青垣町町民センターとなんとなく似ていた。何でやろう と思ったら正面に舞台があり緞帳が下がっているからかぁ〜と判った。ともかく凄い 人で兵庫県養父町生まれ育ち現在青垣町住人のユカにとって東京は修学旅行以来二度目 でいきなりアメリカンクラブはちょっと刺激的だったかもしれない。 司会は徳光アナ、ヒマラヤ飛行の頃は日本テレビに良く出演させて頂き徳光さんと親しく お話をした事もあり懐かしく挨拶に行った。

『やぁ〜只野さんお元気ですか?』『あれから毎日の様に飛んでます。』『それが一番です』 と徳光さん。いつお会いしても笑顔を忘れない素敵な方です。 舞台の側の椅子に座っている敬三先生を発見して人垣をスイスイ掻き分けてスイスイ〜 やっとたどり着き挨拶。やぁ〜やぁ〜やぁ〜と立ち上がり私の手を両手で握りしめて 『只野君久しぶり』と喜んでくれた。何年経っても命がけの撮影をした心の絆は固い。

 ユカを紹介すると、『そうか、そうか』と嬉しそうにうなずいていた。10年ぶりに あっての会話はこれだけだったがこれで10年のブランクは解消出来たと満足でした。 スキー関係の懐かしい顔も多くSIA杉山会長に挨拶、『君の師匠は凄いね、君もこれから又何か冒険するんでしょう。がんばってね』『え!スクールが忙しく冒険はもう無理ですよ』 と言いながら、未だにそう言ってもらえる自分を内心とても嬉しかった。

 エベレスト三度登頂し、今回の影の立役者カメラマン村口さんと握手した。例の感動的 なコメント☆我々のスタイルを崩さない☆の話をしたら照れていたナイスガイ。 海部元総理も挨拶に駆けつけて『私は敬三先生のスキーの弟子なんです』とユーモア たっぷりにスピーチ。三浦先生は次から次へとサインと記念写真でなかなか話も出来ない 状態でいたら、スノードルフィンで同期だった亮三郎さんが『兄貴といっしょに写真撮る?』と声をかけてくれた。やっとお会い出来た師匠にユカを紹介して亮三郎さんに渡し たデジカメにスマイル。ちょっと慌てていたので何度も失敗、その様子を側でビデオ撮影 していたのが同期の堀川三郎さん(ハチ北スノードルフィンスキー学校オーナー)が大笑いで映していた。こちらはバッチリ。亮三郎さんはログハウス業界で日本を代表する方。

エベレスト三度登頂村口さんと

 珍しくお酒も飲まず、ウーロン茶で久しぶりの方々と話しをしていたが最終新幹線のぞみ に間に合わないので会場を出たらエレベーターで20年間お世話になったアシックスの 鬼塚会長とバッタリ。『いやぁ〜凄いね国民栄誉賞もんだね』と鬼塚会長。後日、小泉総理 から敬三先生と二人、総理大臣賞を授与されたから鬼塚会長も喜んだ事でしょう。 人、人、人の会場を後に東京駅に着いたユカはハイヒールを脱いでスニーカーに履き替えた。上はドレスだったが『あぁしんどかった、これですっきりしたわ』とお疲れの様子。

 今回の旅で三浦親子から素晴らしいパワーを浴びて帰って来た。まだまだ目標は決まって いないが毎日レッスンの合間に身体を鍛えている。口にするものを考えながら、お酒は程ほどに養生する生活。トレーニングもがんばり体重も4kg減量した。 三浦先生がエベレストを目指した5年前の話を、長女絵美理さんがテレビのインタビュー で『トレーニングを三ヶ月続けた頃、目の輝きが増しオーラが感じとられた』と興味深い 事を話していた。目の輝き!オーラ!これだと感じる今年の夏物語。



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