10年ひと昔、32年は大昔 (02/03/12)


  先日、一枚のFAXが届いた。見れば三浦ドルフィン事務所からだ。目を通すと3/12東京原宿で三浦雄一郎さんの記者会見と壮行Partyの案内。2003年EVERESTプロジェクトで、70歳でエベレスト山頂に挑む計画である。

 遠征メンバーを見ると1970年のエベレストスキー探検隊のなつかしい名前が3名もいる。10年ひと昔、32年は大昔。三浦先生とは5,6年ぶり。前回はハチ北で世界モーグル大会があった時に電話があり会った。折しも北海道知事選挙に出馬する時で、夜遅くまで熱き思いを聞かせていただいた。三浦先生はとてもできそうもない話を次々に実行していくので面白く、若い時はメキシコ、アメリカ、カナダ、ヒマラヤと連れて行ってもらった。それがその後のTAKの糧となり現在があると思っています。

 エベレストスキーの当時のメンバーとドルフィンTeamの皆さんと会えると、ワクワクで、ためらいもなく○して返事のFAXをした。

 3/12せっかく東京に行くのだから、早めに行って日頃、正一郎がお世話になっているアエロタクト半谷さんに会いに行った。これ又、お世話になっている良太君は元気一杯で働いていた。着なれないスーツを着て、キップを買うたびとまどう地下鉄、山手線を乗り継いで、夕方の原宿駅に到着。

 会場のビルは駅前にあった。エレベーターのドアが開くと三浦さんが立っていた。『オーTAK 元気かあ〜』とジャングルで再会したマウンテンゴリラの様にカタをたたいて再会を喜んだ。

 

記者会見

 記者会見会場やParty会場のセッティングはCOOL!

 それもそのはず、ヨットのアメリカズカップ事務局のキャリアを持つ、長女。恵美理さんが指揮していた。

 会場に入ったら、長男の雄太(ユータ)さんと出会った。名前の通りユタ州ソルトレーク市に住み、コンピュータの仕事をしている。『TAKさん、ユタではパラとハングがいっぱい飛んでます。すごく良い所なので飛びに来て下さい。』話によると、20年前にTAKとハングを飛んだ事がある池田さんが飛んでいるそうで、なぜか正一郎の活躍も話題になっていた。

 かつて、ハングのXC世界記録を樹立したラリー・チュードも、この地に移住して練習した。今回のMexico PWCで優勝したスコットさんもユタ州。これは偶然の話でない。正一郎もこれからアメリカが強くなると言っていた。

 ワイワイとスキー仲間や山仲間と雑談しているうち記者会見が始まった。最初のスピーチは登はん隊長の加藤幸彦さん。32年前のエベレストも登はん隊長だった。今はカナダにロッジを建て住んでいる。今回は奥さんに遺言状を書かされての参加ですとジョークを飛ばす。

 次の三浦先生のスピーチは気負いもなく淡々としていた。今までやって来た事が一貫しているのであまりびっくりしない。むしろ1970年に『TAKよ、エベレストにスキーに行こう』と声をかけられた時の方がひっくり返りそうになるくらい驚いたもんだ。

 当時から、面白そうだからと集まった人や応援企業。今回も、この不況な時代に多くの企業が応援してくれている。三浦さんのパワーの証でもある。

 

三浦さん&豪太さん

 次のスピーチは次男の豪太さん(ゴンちゃん)。モーグルスキーヤーで2回オリンピック出場。今回はモーグルの解説者でソルトレークから帰ったばかり。登山のトレーニングも始めて、来年は父、雄一郎さんと山頂をめざす。記者会見では一番若い。

 最後のスピーチは三浦先生が校長をしている私立高校の理事長さん『生徒にとって、70歳と言えば家のおじいさん。校長の今回の挑戦に9000名の生徒は感動しています。』と。

 一時間程で記者会見も終了し、同じ会場でParty。会場では日本人として2番目(植村直己さんが一番)にエベレスト登頂した石黒久さんと32年ぶりに会った。当時、好青年?だった俺たちはすっかり上品?なおじさまにヘン〜シン。

 チョモランマ(エベレストの中国名)山頂から日本TVクルーでTV中継に成功した中村進さんも来ていた。中村さんは1984年、TAKのヒマラヤハング飛行を映像に収め、水曜ロードショーを作成してくれた方。このVTRはTAKにとって生涯の宝物となった。

 『あれだけの映像はもう撮れないし、TAKの記録もすばらしかったんだよ。』と、話してくれた。Party会場の宴もたけなわとなった頃、石原良純さんが登場した。EVEREST SKIの総隊長だった石原慎太郎さんの次男。『歌が上手かったら唱うのですが、今出来る事は明日の天気予報。明日は全国的に日本晴れです。』愉快なスピーチ。

 

三浦さん&TAK
豪太さん、良純さん、TAK

 明日は1Day Tandem4名が入っているので早々にホテルへ。翌朝、飛行機で大阪へ向う。良純さんの予報通り、すばらしい快晴。飛行機の窓から、あっぱれ日本晴れの富士山を長い間見る事が出来た。2003年5月のEVERESTもこんな天気になりますように、風神様お願い!

あっぱれ日本晴れ
ただちにTandem

 伊丹空港から着替える間もなく、講習場へと直行。講習場をかけ上がり、スタンバイしていたスクール生を前置きなしでサポート。後押して走り、飛ばします。 『校長が来たら風が良くなった』とアシストのnonちゃん。風が良いのでバンバン飛ばし、気がつけばネクタイをしめたまま斜面を走っていた。

 EVEREST SKIから32年。TAKは今ではパラグライダースクールの鬼(ゴッコ)。TAKの夢は冒険でも探検でもなく、世界にたった一つの立派なパラグライダースクール★TAK★

 


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