2001年夏物語 (01/09/14)


 2001年の夏は雨が少なくとても暑い日が多く良く飛べました。6月に行ったスペインの暑さに比べればまだましで、スペインのフライパンと言われるくらいで、車の下で気持ち良く眠っている犬の横に入ろうかと本気で思ったくらい木陰もなかった。'99にこの地であった世界陸上なんてどんなだったのか想像すら出来ない。

 真夏の講習場は連日、一日体験の方がたっくさん来てくれて、こちらは一日大変コースとなった。TAK流一日体験は初めから立ち上げをサポートしてスクール生のハーネスの背後に回り、押して飛ばす。連日、講習場を駆け下りる事が仕事となり、夏の終わりにみごとサラブレッドの様な足となった。

『足首が、キュッとしまってかっこいい!』なんて、女の子に言われると、ブタもおだてりゃ空を豚じゃろ。ってな感じ。8/1は丹波少年自然の家が主催するサマーキャンプでパラ教室。1/28のウインターキャンプでもパラ教室に成功している。

 リーダーのお兄さん、お姉さんも入れると50名が来てくれた。TAKのサポートも20名ぐらい来てくれたが、立ち上げて飛ばす技術は職人技でだれにも出来る技ではない。ほとんど一人で飛ばしてやってるようなもので、暑さでフラッとなったが、なんとか全員飛ばしてしまった。

 

 8/6そのごほうびで、子供達とびわ湖は近江舞子のWind Cubeへ。夕方、びわ湖着いたとたん、南西ブローが湖面に入って来たのを見て、16年ぶりにセーリングの血がさわいだ。Wind Cubeさんから最新のウインドウサーフィンを借りて、沖に出る。ジャイブ、タックも忘れてない。沖から岸にもどって来ると、初めにみるTAKのボードセーリングに大喜びで、デジカメで撮ってくれた。

 8/8青垣町親子パラ教室は、ロールアウトさんと共同ボランティア講習。夏休み中の地元の子供達を16名飛ばしてやった。完全サポートして飛ばしていた5歳の双子の兄弟ケンちゃん、ナオちゃんは『持ってないで一人で飛ばせろ』といっぱしな事を言うので『ハイ!それでは右手上げて』しばらく考えてから左手を上げた。

『右左がわかるようになったら一人で飛ばしてあげる』と言ったら、ごっついくやしそうに上目づかいで、にらんでいた。

  

 8月連日、講習場を走り回っても、故障知らずで暑い夏を乗り切った。走る自信がついたので、又ランニングを始めようと決めた。浅野史郎宮城県知事のH.P、ジョギング日誌を見て刺激を受けた。もともと仙台高校時代は駅伝ランナーでもあったので、ジョギングは得意。今は毎朝7時、家を出て講習場に周回するコースを走る。こんな事は朝めし前だから、走ってから朝めしを食べる。

 9月に入り正一郎も帰国して、レッスンも楽になったが、日没も早くなり夏の間風が良いと1日6本飛べたのが、どうがんばっても4本が限界。

 9/9救急の日とはダジャレがうまい。2001年は無事故できているので、9/9(キューキュー)救急事の世話はイヤだ。この日は岡山OBの連中が7名Tandemにやって来た。昨年は風悪くキャンセルが、今回は長野さん、正一郎、TAKの3人で全員飛ばした。その後もTAKは3名飛ばし、TAKでは10名のTandem飛ばした一日となった。

 9/12信じられないアメリカのテロ事件で大騒ぎの朝、TAKには元気一杯の宝塚第一小学校5年生が30名自転車に乗ってやってきた。小学5年生は一週間の野外活動をする事となっている。青垣町には、その為に兵庫県下の16市町がお金を出して建設した丹波青年自然の家がある。今回の子供達も6日間の予定で野外活動に来た。リーダーのお姉さんお兄さんと毎日楽しい野外活動メニューを行っている。

 この日はパラグライダースクールの見学。風はどうして吹くのでしょうか?雲はなぜ発生する?パラグライダーはなぜ飛ぶのか?など、話を聞き、講習場で実際パラグライダーを飛ぶのを見たり触れたりした後、少し飛んでみたい人、手を上げてと言ったら10名程が元気良く手を上げた。ジャンケンピョンして一人の男の子が早速正一郎に浮かしてもらった。今後は皆で飛んでみようぜ。

 

 この日の夕方は読売新聞夕刊にTAKの記事が出る予定が、アメリカのテロ事件で来週に延期。とても暑くて忙しかった2001年夏は多くの子供達に空飛ぶ夢を伝えられたような気がする。来年の夏はどんなかなぁ〜。


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