見て感じて2001年スペイン世界選手権 その1 (01/06/27-)


 兵庫県、青垣町から二日かけてたどりついたスペイン、グラナダは牛が横たわるように広がる山並み。SIERRA NEVADA(3300m)はアウトドアースポーツ天国だった。

 96年世界アルペンスキー、昨年はMTBの世界大会。ベースになるリゾートタウンは、2000m地点にあり、高所トレーニング場がある。400mトラック、フィールド、サッカー 室内にはプールとウエイトトレーニング室。2800m地点まで上がれる山岳道路を、ヨーロッパの車メーカーが車をすべて、黒いシートでカバーしてテスト走行している。車の中には、計測器械がぎっしりと積まれている。車マニアが見たらたまらん光景でしょうね、きっと。

 その横を、自転車のロードレース、MTBのレーサーがかっ飛んでいる。時速60km/h。スペインがツールドフランスで連勝するのも、高地トレーニングの効果なのか、コーチ?がいいか、なんせ、数多くの自転車が行き交う。

 着いた翌朝は時差ぼけか、爺様ボケか、早めに目が覚めたので、オフシーズンのスキー場を散歩する。MTBのコースも整備されて、きれいな花が咲き乱れていた。

 ホテルの近くの駐車場には、小さな車にパラ用品を積めこんで、身体を折り曲げて、寝ているパラフライヤーもいた。ヨーロッパは陸続きなので、こんな事も可能なんだ。どこの国の選手か気になるなぁ。

 6月28日、雲ひとつない青空。カリフォルニアの青い空より、もっと青い。スペインの夏は、日没が22時位なので、夜が長く、朝がのんびりしている。Take off2800m地点へ向かう。選手のバスが出発するのが11時。ゲートオープンがなんと16時40分。もっとびっくり、クローズ20時40分。この日は、Task6、47.5km下の町がゴール。

半谷さんと正一郎
正一郎T.O

 いよいよ、Take off。正一郎とドイツのボードーがTopで出て行く。堰を切ったように、150機のパラが次々と大空へ飛び立つシーンは、まるで渡り鳥の群れが舞うようだ。踏みつけられないように、写真を撮っていたら、目の前に低空でスピンして落ちてきた。助けてやっている内に全員飛び立ってしまった。ふと上を見ると人だかり。駆け上がってみれば、なんてこった、スペインのダニエル・クレスポが「痛いよう!」と脚を押さえて叫んでいる。膝をやったみたいだ。

 ダニエルはTAKの家に10日ばかりホームステイして、お礼に書いてくれたのがHPの表紙。今回、新しいのを書いてやるよ。と話したばかりのアクシデント。この大会が始まってすぐ、スイスTeamのエースで、昨年のPWCチャンプ、アンディ・へディガーも風待ちのフライトでトップランに失敗して、脚を骨折。それでも、スイスTeamは勝った。 この大会期間中、10名以上が病院に入院したそうで日本から一人も怪我人がでなかった事は立派だ。

 全員が離陸したらサポート隊は今日のフライトコースが一望出来る丘へ移動し、無線で情報を飛ばす。レース開始から一時間あまりで我々の陣どってる丘を、TOP集団が低い高度で戻ったと思ったら、すかさずガグルを形成し、上昇していく。目に見えない気流がパラで色づけされると、はっきりと形になって見えてくるからおもしろい。

 と、その時、土けむりがダストデビルとなって巻き上がり、ほとんどのパラが不安定な動きになった。心配していたら、辻さんのパラがクラバット、回復、シューティング、スパイラル。半谷さんの無線が「レスパラ!」と叫んだ直後、黄色のレスパラ、'ビーマー'が開傘。辻さんは戦線離脱。 中村ドクターが現場に走るが、すぐ、「OKです。」の無線コール。ほっとしたのもつかの間、谷ひとつ向かいの山頂で、水沼さんがくるくる回って落ちていくが、回復。命がけのレース展開に、暑さを忘れて観戦。

 風は北風Max8mになった。最終パイロンをゲットした、田中美由喜さんが、この向かい風につかまり、全然前に進まない。やむなく、手前の谷に緊急ランディング。体重の軽い二人にとって、強いサーマルコンディションは不利にもかかわらず、身体のでかい奴らと戦い、個人3位、7位は素晴らしい。女性だけの国別対抗があったら、日本はお立ち台。

GPSのチェック

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