人生わずか50年 (00/05/05)


酒樽 とすれば、もう5年も長生きした事になる。55才の誕生日。戦国時代の武将や宮本武蔵の50才代と、今だ地に足つかない生き方をしている自分を比較して、あれこれ空想して見ると、これでいいのかなぁ〜と思ってしまうが、まぁいいか。

 1945年5月5日。時は終戦の年にTAKは生まれた。親の家は仙台市のどまん中だったので疎開先の母の実家(徳源寺)の本堂で生まれたと聞いています。その年の8月、仙台空襲。母は生後3ヶ月のTAKをおんぶして火の中を実家まで逃げたらしい。距離は15KMはあるので、しんどかった事でしょう。でも、この時たくさんの方が亡くなっているので、母に感謝しています。母の実家徳源寺はゴルフの東北クラシック大会で有名な西仙台カントリーの入口。もし、通る事があったら思い出してください。

   それから55年間、よくもまぁ次から次へと自分のしたい事だけをやり続けて来れたものだと感心します。そのたび、多くの方々の協力とゆうより、めんどうをかけて、わがままを通してきたのです。


 今回の誕生日パーティーもその例外ではなく、一ヶ月位前からTAKの若手メンバー有志が中心となり準備してきた。若い方だけでなく、同世代の方々もお世話になりました。ボレロ佐藤さんはアクリルペイントで似顔絵を。え!と驚く出来ばえ。『私は画家です』と言いきった。美和町、高橋さんはすばらしい字の垂れ幕を、会場に華をそえてくれました。西田住職夫妻は幸福の木を。西田住職は飛びながら唱う変なおっさん。阪神タイガースが勝っている時は六甲おろし、負けている時はお経。飛び入り参加、ベストスポーツ柏木選手はジャンケン大会で大いに盛り上げていただきました。

 なんといっても、パラよりダンゴ。今回も文句なしで、大好評だったのがトッキーシェフの料理。一週間も仕込んだだけに旨いの一言。GINさんのWelcome partyで、よっぱらった勢いで今回の幹事を引きうけた西山君は彼女との息もぴったりで、いい感じでした。

 圧巻は田口君製作のGiorama(立体地図)40Kg。アエロタクトの半谷社長にいただいたハーネスシミュレーションとTAK Shopの名物になりました。Sony MD WalkmanのMDを録音してくれた正一郎ありがとう。いっぱい録音たのむわ。

 参加者全員にお礼を書きたいのですが、文章が長くなりますので、まずはピリオド。ありがとうございました。最後に来年も又お願いします。 (え〜と言わないで)




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