ふるさと宮城 (99/04/02)


 先週は3日間も休校して、スクール生の皆様、大変申し訳ありませんでしたが、おかげさまで『みやぎ夢大使』の2度目の委嘱式も無事終わり、有意義な3日間となりました。結果、岩屋の方は天気も風も悪く飛べなかったので、少しほっとしています。

 3年ぶりの仙台は今年、100万都市となるだけあって、急速に都市化が進み、以前先輩の操縦するモーターグライダーで着陸した事のある仙台空港の滑走路は、国際線も乗り入れができる3000Mとなりエアポートターミナルも近代的建築物へと変貌。以前ここに着陸したなんて大昔の話のような変わり様だ。飛行機の窓から見る仙台は高層ビルが立ち並ぶ。

 高校、大学とスキーで滑りまくった蔵王連峰の峰々や、子供の頃から見なれた山々はそのままなのがうれしい。それは、子供の頃のおもちゃ箱がずっと家の中に残っているようなもの。世界初のチョモランマTV衛星放送をした中村進さんが『山はずっと変わらない。人が変わってゆくだけだ。』と言った事を思い出す。子供の頃見ていたふる里の山々が小さく見えるのは身長がすこし伸びて、目線が高くなったからかな?ふしぎだなぁ。

 翌日、3時から県庁近くのホテルでみやぎ夢大使委嘱式が始まった。平日ともあって100名中参加者は39名。今回は県民の一般の方にも公聴と公開していた。浅野知事の挨拶の後、一人2分間のスピーチ。タイムオーバーすると『チーン!』とかわいらしいベルがなる。あっとゆう間に私の番が来てしまった。

 『私は兵庫県の丹波の山里でTAKパラグライディングスクールを12年間やっています。パラグライダーで空を飛ぶ事を教えたり飛べない時は他のアウトドアスポーツを楽しんでもらったりして、日本人で初めてハングで飛んでから4半世紀、空を飛んでいます。
 兵庫の山奥に住んでいますが、ふる里、宮城の事はいつも気になり、インターネットで見ています。毎週、月曜日、浅野知事が記者会見した内容が出ますので、それを見ています。私の育った、愛子(あやし)の県立宮城農学寮の跡地に県立こども病院ができる事や、中国の光沢民主席がなぜ仙台を訪れたかなど、いろいろ知る事ができます。パラグライダーは、まだマイナースポーツですが、よろしくお願いいたします。』
と、スピーチしたところ、浅野知事が『私の記者会見の事は翌日の火曜日に県のHome Pageにでます。』と付け加えて、宮城県庁Home Pageアドレスがコピーされて全員に配られた。

 出席者のスピーチが一回りしたところで、JAみやぎが製作した、みやぎ米のCMVTRがスクリーンに。夢大使の一人、菅原文太さんと浅野知事。

『浅野さんは朝飯は何ばい食べましたか?』
『私は3ばい。で文太さんは?』
『一ぱいです。』
『エッ! 一ぱい?』
『どんぶりで一ぱいです。』と、オチがついたもの。

新たに女学生バージョンができていて、文字通りカミナリおやじ(文太さんは、カミナリおやじの会をつくっていた)のおやじギャグを小ギャルがマネる。それは、Good!です。JAみやぎに座ぶとん一枚。

 次に話題は2001年に開催される、みやぎ国体についてスポーツ関係者から意見を聞きましょうとマイクが回ってくる。

『昨年の神奈川国体では、丹沢を会場にしてハンググライダーがオープン種目として参加しました。この事もあったので2年前、浅野知事へパラグライダーの参加を提案したレポートを出したところ大変ていねいな返事が返ってきて、すでにオープン種目は決定しているので参加は出来ないといった内容でした。
 普段、山奥い所で生活していてひさびさに仙台に来て感じる事は、平野が広い!と言う事です。蔵王をはじめとして奥羽山脈から仙台平野への広がりが大平洋へと連なるこんなスケールのロケーションは数少なく、仙台の様に便利な都市生活が自然とバランスをとって共存出来る可能性を持った環境がそこにあると思います。この様にすばらしい宮城全土に国体会場が設けられ、21世紀初頭の年に全国から21世紀の担い手である若人が集いスポーツする事は新世みやぎに好感を持っていただくビッグチャンスと思います。
 その為には県民こぞってホストとなりホスピタリティの心で、選手がのびのびとプレー出来るように応援してやる事が大切と思います。パラグライダーは、まだマイナースポーツですが何かお手伝いすることがあればいつでも声をかけて下さい。』
と、突然マイクをふられたわりには、うまくしゃべれてよかった。日頃からアレコレ考えていないと、こんな時シドロモドロしてしまう。若い時は、空の事ばっかり考えていて、こんな事はうわの空だった。

 次はローマオリンピック金メダリスト(ウエイトリフティング)の三宅義信さん(自衛隊体育学校長)。『日本人の金メダル数は毎回へってきている。アトランタでは3個、次のシドニーではゼロの可能性も高い。これは、小学校に体育の専門の先生がいない事も原因になっている。』金メダリストが言うだけ迫力だ。なる程、それには気付かなかったよなぁ。その子がスポーツに興味を持つ時にタイミング良く正しく導いてやれば芽はすくすくとのびる。正一郎を初めてパラで飛ばしたのが10才の時だったけ...私のスキーは5才。

 4時間にも及ぶ懇談会とパーティーの後、トイレに立った。となりでオシッコをしていた上品なジェントルマンが話しかけてきてくれて『とてもスピーチが良かったよ。』と、こんな所でなんですがと名刺交換。名刺を見ると凄い方。ほとんど知らない方ばかりの中で4時間はつらかったけど、一生懸命しゃべって良かったと思った。今回、顔見知りになった方が5月5日のTV番組で、あっ!と驚くかな?と思うとニヤ、ニヤするって、TAKはマニアック!?


宮城夢大使
TAK、となり三宅義信氏(自衛隊体育学校長) (提供宮城県)

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