「正ちゃん、あんた、速すぎるで。」 BY ドラムの中村 (03/03/26-30)


 私がパラグライダーを始めた十数年前、日本で最初のパラグライダーのワールドカップが九州であり、雑誌で見ただけだった。2003年3月、日本で2回目のPWCが筑波で開催されるという事で、何としてでも見に行こうと、計画を立てた。が、日程が近づくにつれ、いつもバンドその他で世話になっている、正ちゃんが世界中のあっちこっちでお世話になっているだろうと思い、そのお返しに、PWCの手伝いでもできれば、これは良いチャンスだと考えた。筑波で飛ぶのは、次回また来て飛ぶ事にした。事前に「運転手でも皿洗いでも何でもしますよ。」と大会本部の田中美由喜さん宛てにE−メールを入れておいた。

 ノンちゃんに日程をコーディネートしてもらい、3月26日(水)から30日(日)最終日まで行く予定で、25日夜、増田さん、山本さんと待ち合わせて、夜中に高速道路を乗り継ぎマイカーで筑波入りした。

 佐野さんたち先に現地入りしている人に挨拶し、その後、大会本部の田中美由喜さんより授かったお仕事は、ゴールまでとどかずに、あっちこっちでランディングした選手を拾って回る回収車のナビゲーター兼通訳だった。回収車は数台あり、私の担当の車は25人くらい乗れるマイクロバス20号車。これが思ったより大変そうで、見慣れない筑波の地図を数種類、数十枚もらい、途中でランディングした選手と英語でGPSの位置の連絡を無線機と携帯電話で取り合い、場所を探して、選手をひとりひとり拾うと言うもの。回収の終了は遅くまで掛かるかも知れないそうだ。会社の仕事では英語も使うので、片言の英語は出来ますとメールには書いたものの、通訳と言われるとちょっと心配だ。

 回収の仕事は午後からなので、午前中は大会本部でのんびり。そこへ金川さんが来られて「中村さん、テーピングでけへん?」と、なんで私が昔アメリカンフットボールでテーピングしてた事を知ってんねやろと思いながら、思い出し出しテープを巻いてハイ出来上がり。なんでも、昨日、足首に軽い捻挫をされたそうな。この時、アンダーラップが無く、毛も剃らなくて良いとの事で、剃らなかったが、夜、剥がす時はだいぶ痛そうでした。可愛そうに。大会本部から上空のレースを観戦しましたが、百機以上のグライダーが回して上げては走り、また回して走り、これだけでも見に来た甲斐がありました。

 さて、昼から回収車出発ですが、この日のゴールは近く、本部より車で約15分。また、コンディションが良く大勢の選手がゴールするだろうとの予測で、我が回収バス20号車はゴールした選手を乗せて本部まで運びなさいとの指令。ゴールに着いた時には、正ちゃんたち速い選手はゴール済み。でも、後から後から数十機が踊りながら降りて来るわ来るわ。それは迫力ものでした。扇沢さんのスペシャルお茶目なランディングまで見てしまった。地元の人たちも大勢ゴールを見に来られており、パラグライダーを始めて見たような七十代くらいのじいさま、ばあさままで、「すごいねー、いいもの見たよ。」と声をかけられゴールは大いに盛り上がっていた。

 その夜、テイクオフにいた人たちから聞いた話では、ゲートオープン時の100機以上のグライダーが手際よくどんどん飛び立つシーンは見ごたえありとの羨ましい話。これも見たかったが仕方がない。晩御飯は、正ちゃんご用達のラーメン屋さん。味良し、ボリューム良しで、大満足。

 宿に着いた時、急用の連絡が入り、明けて翌朝より大西さんとマイカーで大阪に帰った。(この時の大発見、大阪では外環と書いて"そとかん"と読みますが、東京では、"がいかん"と読みます。あしからず。)

 ここで終わると思ったら大間違い。最終日の日曜日は大阪へ帰る金川さんの車に空席ありと聞いていたので、始発の"のぞみ"+在来線で筑波へ行き、正ちゃんの表彰台を見に行こうと計画していた。でも、土曜日の夜、筑波行き夜行直バスに空席が出たので、これに飛び乗り、翌日曜日朝には筑波入りできた。

 直バス利用でもJR在来線、ローカルバスと乗り継ぎ、最後はバス停から大会本部までは徒歩20分。歩いている途中、TAKキャップをかぶっているのを見てか、「TAKさんにはいつもお世話になっています。」と京都の大澤さんの車に拾ってもらい、ラッキー。
本部へは八時頃到着。佐野さんとも再会、関東に移動された柿本さん、遠藤さんにもお会いできた。木曜、金曜、土曜日は風が悪くレースは無かったらしい。

 受付で、田中美由喜さんに「また今日もよろしくお願いします。」、「じゃあ、きょうも回収バス20号のナビゲーター兼通訳をお願いします。」、「ハイ、わかりました。」。「それと午前は、テイクオフで選手のテイクオフを手伝って。」、「イエッサー。」。何たる幸運、願っても無いチャンス。

 この日は日曜日で、テイクオフも一般観戦客でいっぱい。ゲートオープン前の緊張感、これもたまらない。ハンスボーリンガー選手がこの日の一番目のテイクオフのために早くから機体を広げてセッティングしている。時折ブローが入り、キャノピーがめくれるのを押さえに入る。ハンス選手から直接「Thank you.」、「You are welcome.」オー、これぞPWC。妙に興奮してしまう。

 ゲートオープンで世界のトップパイロット百数十人が次々とテイクオフしていく。広げてはラインチェックの繰り返し。少しでも早く出ていい位置に付けたいのか、結構バランスを崩してでも出て行くパイロットが意外と多い。レーサーが全てテイクオフし終わると、やはりホッとし充実感がある。上空を見上げると青い空にすごい数のキャノピーで巨大なガーグルを作っている。ビューティフルの一言。「回収班は下山して下さい。」ワンボックスに乗り込み下山する。さて、これから選手一人一人の回収。初めての経験。どうなる事やら。

 この日のレースは距離85km、ゴールは黒羽。くろばねと読む。もらった数種類の地図で探すが、なかなか見つからない。黒羽って何処や?運転手は高橋さん。彼も地元ではないのでこの辺の地理には疎いと言う。ええんかいな?

 とりあえずゴール方向の集合地点に向かって走る。不慣れな土地で地図とにらめっこ。走っている途中では、飛んでる機体、降りた機体を探し、本部へ連絡を入れなさいと頭は一杯である。本部より、「本日は、ゴール者続出が予想されるため、20号車は直接ゴールへ行ってください。」と指令が入った。少し山を越えてからは、ひたすら北へ北へと走る。20kmくらい北へ走っていると飛んでる機体を三機発見。30kmくらいで20機ほど発見。40kmくらい走ると、数キロ先を高度500mくらいで3機がひたすら北へ突き進んでいる。その後を20機ぐらいの集団が追い駆ける。途中でガーグルが形成されると、我が20号車が少し追い着く。が、グライドされると、離されていく。回収車は時速50kmくらいで走っているが時々赤信号で止まるので、少しづつ距離をあけられていく。あとで、正ちゃんに聞くと、南風で、最高時速70kmくらいで飛んでいたらしい。すごいスピードだ。途中、降りている機体は見なかったが、高度が200m100mと下がっていく機体は2機ほど見かけた。前方の機体に離されて行くと、ゴールからトップ集団が見えてきたと連絡を聞く。トップのゴールを見たかったが、到底、追い着かない。

 20号車がゴールに着いた頃には既に、十機から二十機がゴールしていた。この中に正ちゃんを発見。聞くと「5番目くらいでゴールしたと思う。」と、単純に嬉しかった。岩屋ではわざわざ正ちゃんと並んで写真など撮らないので、ちょっと気恥ずかしいが、ここはワールドカップのゴール地点。辻さんにカメラを渡しお願いして、正ちゃんと記念撮影。でもこれって、日本のトップ選手が世界で戦っている場なので、プロ野球で言ったら、ニューヨークのヤンキーススタジアムで松井選手やイチロー選手と並んで写ってるのと同じくらいすごい事やで。正ちゃんには内緒で宝物にしておこう。

 その間にも70km南からパラグライダーが何十機も飛んで来る。これまた、見応え有り。中には、ゴールライン手前100mで、高度5mくらいの機体がいた。ゴールラインに届かずに降りそうだったが、追い風でそのままゴールライン上にランディング。さすがレーサー。その場にいた選手全員から拍手喝采である。ゴールした達成感をみんなで共有し満足そうに見える。129機中、80機以上がゴールした。こいつらってすごいと感じた。

「中村さん、仕事、仕事。」ちょっとはしゃぎ過ぎてしまった。回収20号車のマイクロバスでは、片言の英語で外人選手二十数名の点呼、大会本部へ連絡を入れる。ゴールから表彰式会場までひたすら南へ走る。選手はみんな、缶ビールを飲んでから疲れてほとんどが寝ている。会場まで約一時間半、えらく長かった。高橋さん運転ご苦労さまです。それもそのはず。帰ってから地図で確認すると、筑波のテイクオフから黒羽ゴールまでは直線で約70km。青垣町からだと神戸や京都までの距離になる。再び、彼らはすごいと関心。

 表彰式会場に着いてからは、選手がGPSデータのダウンロードのため行列を作っている。これに随分時間が掛かる。最終日にロングタスクが成立し、ゴール者多数ですごい盛り上がりだ。高藤さん、吉川さんも帰ってきた。ご苦労様でした。この間、TAKオフィスのノンちゃん、校長と携帯電話でやり取り。「順位発表はまだか?」、「まだです。」

 

 遂に、順位表が張り出された。本日のタスク只野正一郎選手は6位、ばんざーい。総合順位、我らが只野正一郎選手、"6位"ばんざーい。日本人最高位だ。表彰式では、選手もみんなすばらしい大会だったので満足げな顔をしている。今回、日本でこんなに良い大会が開催されたので、遠くない将来、また日本でPWCが開催されるのではないかと期待してしまう。その時は岩屋山だったらいいのにな。

 表彰式が終わり、正ちゃんもその日に帰るというので、正ちゃんの車に便乗し大阪へ向かった。あんたはえらい、ご苦労様。

 今回、手伝いに行ったつもりが、テイクオフ、レース中盤、ゴールの全部を特等席で見られて、なんだか私が一番楽しんでしまった。半谷さん、田中美由喜さん、大会でお世話になった方々、ありがとうございました。

 最後に、嬉しいけれど、少し残念だった事は、正ちゃんのゴールが見られなかった。
「あんた、速すぎるで!」

終わり


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